『カラスの対話』シリーズ

『カラスの対話』Vol.2
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    ネット上の身体感覚

 

 

K「では、そろそろ始めましょうか。」

 

 

 

 

S「はい。今日は 4/13 ですね。」

 

 

 

 

K「この『カラスの対話』だけど、始めたのは確か2010年だった。

LINEとかが始まったのは2011年頃だということに最近気づき。」

 

 

 

 

S「当時はまだ、ぜんぜんチャットの身体感覚がなかった気がする。

普通に、文章を対話として書いていた。」

 

 

 

 

K「そうだよね。

2ちゃんねるとか、匿名の掲示板サイトの後の時代かな。

それでもまだ個人情報が守られていたような。

今は完全に個人情報がネット上にある。良くも悪くも。」

 

 

 

 

S「そうね。基本的には、全てネットで追える時代。」

 

 

 

 

KAI開発が進んできたからね。

検索履歴はもちろん、行動履歴もほとんどすべてデータベース化していて。

でもウチラくらいの世代って、ちょうどこういう テクノロジーの進化の速度 と、世の中を知るタイミングが 同期している年代 だよね。」

 

 

 

 

S「ほんとにそうなんだよね。」

 

 

 

 

K「小学生くらいまでは黒電話だったのが中学くらいでポケベル、高校でPHS、それからみんな携帯持つようになって、iモードとか携帯でネットできるようになって。

で、それから00年代のiPhone以降の流れって劇的で。

こういう劇的なテクノロジー変化を起こすこと、『破壊的イノベーション』っていうらしいんだけど。

なんかそういう意味では、昭和のアナログ時代から、デジタルテクノロジーの破壊的技術革新の時代まで、ちょうど跨っている身体感覚世代なのかなと思ったり。」

 

 

 

 

S「そうそう、最近ラジオを聴いていて思うことが。」

 

 

 

 

K「はい、電波のラジオ?」

 

 

 

 

S「そう、電波のラジオ。

新型コロナウイルスに関する報道で、携帯各社の ビッグデータを利用した行動統計 を政府が当たり前に出してくる。」

 

 

 

 

K「そうだね。

特に今回のコロナのことで、より一層。」

 

 

 

 

S「そう、個人情報を何の臆面もなく。

外出自粛をお願いしているがぜんぜん達成されていない、

って、全部見えてますよってことだよね。」

 

 

 

 

K「位置情報でわかってるわけだけど、外出禁止令が出ているイタリアと、外出自粛を『お願い』している時の日本、日本人の方が動きがないっていうよね。」

 

 

 

 

S「さすが日本人。」

 

 

 

 

K「日本人は、『お願い』でみんな自粛した。

イタリアやフランスは絶対しないだろうな。

だから強制力のある禁止令ということもあるのかなと。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    5G (第5世代移動型通信システム)

 

 

K「それで、少し話が飛びますが、5G のこと、だいぶ以前から話してたじゃない?

これ、やっぱり iPhoneの次に来る破壊的イノベーションとも言われてるけれど。」

 

 

 

 

S「はい。けっこう前からいろいろと。

5Gは、4GWiFiとは電磁波の性質も、使われる周波数帯も全然違っていて、もともと 軍の非殺傷兵器 だったものの民間転用だとも言われている。

いわゆる平和利用という感じ。」

 

 

 

 

K「で、今回のパンデミックと5Gが展開するのが、奇しくも同時期となっているわけで。」

 

 

 

 

S「日本の携帯各社の5G導入開始日が、

docomo  3/25

au          3/26

softbank 3/27

となっていて、コロナが隠れている、とか。」

 

 

 

 

K「都市伝説なんかで言われてるね。」

 

 

 

 

S「そうそう、いわゆる都市伝説です。」

 

 

 

 

K「いま、世界的な危機のさなか、実際に過酷な現場にいる方もいる。

一方で、このコロナによってどの国でも莫大な予算が動き、この現状に対する補償の先の、コロナ危機後の新たな社会 、ポストコロナの世界を見据えた動きがあり。」

 

 

 

 

S「はい。コロナ後の新しい世界に向けて。」

 

 

 

 

K「今回のことを契機に、あらゆる分野でオンライン化が進む だろうし、それは今現在の世界状況における一時的なことではないだろうと思うんですよ。」

 

 

 

 

S「よくわかります。」

 

 

 

 

K「それはこの先、5G技術なくしては実現出来ない社会だろうと。

そういう意味で、今回のことって、感染症が世界的に大流行しました、収束しました、元の生活が戻ってきました、とは絶対ならないと思う。」

 

 

 

 

S「うん。そうだと思う。

人間の文明は、もうあと戻りは出来ない地点に来ている 気がして。

これは善し悪しではなく。

産業革命、IT革命の次の段階。」

 

 

 

 

K「この外出自粛中に、どんどん5Gのコマーシャルが流れて、あきらかに世界経済は5Gとワクチン、抗ウイルス剤などの製薬ビジネスに舵を切ったなと。

株価の動向とか見てると完全に。」

 

 

 

 

S5Gのコマーシャル、あまり注意して見てないけど、どんな感じ?」

 

 

 

 

K「最近始まったのだと、超スマート社会の到来ということで、世界が革新的に変わり、生活も変わり、新しい人間中心の社会 になる、という未来社会を謳ってるね。」

 

 

 

 

S「なるほど。素晴らしい新世界的な 。」

 

 

 

 

K「そう、人間中心っていうのが面白い。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    新世界

 

 

 

K「それで、今回の補正予算案、自民党はついに『ソサエティー5.0』実現に向けて、『デジタル遷都』 を目指すという動きも。」

 

 

 

 

S「そのようですね。

ただ、そのことの問題性が、はたして日本国民の間でどのくらい話題になるのか。」

 

 

 

 

K「こないだ、東京が絨毯爆撃で焼け野原に見える、と言っていたけれど、それはオンラインとオフラインというだけではなくて、個人やある種の中小企業が経済的に立ち行かなくなるのは眼に見えていて。

もちろん大企業もそうだと思うけど。

そういう意味で、これまでの社会経済システムが今回のことで、崩壊してゆくだろうと思うわけ。

これは人ごとではなく。」

 

 

 

 

S「それが自然発生なのか、はたまた人為的な問題から来ているのかは関係なく、今がひとつの 文明の転換期 にあることは確かで。

ただ、個人的には、ネガティヴな側面とポジティヴな側面の両方が現れてくると思っている。

それは、内面的な部分も含めて。

もちろん、実際のところ、人ごとでないという部分もよくわかります。」

 

 

 

 

K「ズレるかもしれないけど、ベーシックインカムの導入も、これまで否定的だった国や自治体が行なったり、表の社会、眼に見える文明の転換点にまさにいるという感じがする。」

 

 

 

 

S「確かに。

そういう意味で言えば、国や自治体や私たちの、いわゆる経済的なものに対する意識は、それ以前とはかなり変わって来ているのかもしれない。

これはポジティヴな意味で。

それとは逆にネガティヴな側面では、国家からの福利厚生を十分に受けるには、事物に関わる身体の自由を差し出さないといけない 、というか。

 でも、そもそも 国家もいずれ無くなる かもしれないし。」

 

 

 

 

K世界政府の樹立 を、みたいなニュースも英国では流れていたね。

英国元首相の言葉として。

国家が、すでに機能不全を起こしているのを皆が目の当たりにしているわけで。

国家が崩壊して右往左往する前に、もう 自分の内で国家を壊してしまうしかない のでは。」

 

 

 

 

S「なるほど。それは 能動的 。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    "能動的"な身体性はオンライン化され得ない

 

 

 

K『吾人は別に霊の国家、神大日本を有す。』と、

二・二六事件の将校、磯部浅一 は獄中で書いた。」

 

 

吾人は別に霊の国家を有す、日本国その国権国法をもって吾人を銃殺し、なお飽き足らず骨肉を微塵にし、遠く国家の外に抛擲すとも、ついに如何ともすべからざるは霊なり、吾人は別に霊の国家、神大日本を有す。(磯部浅一「獄中手記」より)

 

 

 

S「コルヴスの仙台公演『雪の聲』(2013年12月6日@エル・パーク仙台) で取り上げました。

 その時の身体感覚が蘇る。」

 

 

 

 

K「あの時の空気感は、今とは全く違うけれど、でも、ちょうど特定秘密保護法案が参院で強制採決された日で、仙台のアーケードなんかでもデモがあって。

そのデモから抜け出して公演を観に来た、という方々もいらして。」

 

 

 

 

S「そうだったね。その公演をきっかけとして始まった講座もあります。

そしてその舞台作品は、写真含めオンライン上に記録可能な媒体には一切残っていないという・・・」

 

 

 

 

K「生の、オンライン化されえない空間 、というのは本来の舞台芸術の在り方で、引いて言えば、人と人とが出会う、巡り合う、ということは、そういうオンライン化されない力が働いているとも言える。」

 

 

 

 

S「まさにそう思います。

そしてそこの部分に関連して、前回の話と少し繋がってくる気がするのだけど、

例えば、前回この対話をしたのが2日前ですか。」

 

 

 

 

K「はい。」

 

 

 

 

S「その間におそらく2回の 睡眠 を取っていて、1回の日中の生活があったと思うのだけど。」

 

 

 

 

K「そうだね。」

 

 

 

 

S「簡単に言ってしまうとその間も、意識は切れていない 、というのか。

何を話そうか常に考えているということではなく、チャットというツールが切れても、対話の意識は続いている。」

 

 

 

 

K「続いている、そうだね。

オンラインを道具として使っている。」

 

 

 

 

S「また、ちょっとわけがわからなくなってきていますが。

続いている。

例えば、ネットに上がった情報なり画像なりに対する人間の内面活動があって。

当たり前だけど、それはとても受動的なあり方。

言ってみれば一つの反応。

それを仮に、感情、という言い方をした時に、それに対して今この対話でやっていることは、明らかに自発的で 能動的な内面活動で

それは、思考、という言い方も出来るのかもしれない。

その思考活動が、どこか続いている。」

 

 

 

 

K「続いている?

能動的な思考が?

昼も夜も続いている、ということ?」

 

 

 

 

S「なんと言うのか、能動的な思考それ自体は続いてはいないのだけど、この対話で思考活動を行っている時の身体感覚にフォーカスした時に、その身体感覚は、続いている

オンラインを道具として使っている人間 の、オンライン化されない能動的な身体性 が、と言ったらいいのか。」

 

 

 

 

K「なんか、わかるような、わからないような、、、。」

 

 

 

 

S「この対話の流れで、なんとなく、アントナン・アルトー のテキストが頭に浮かんできたな。」

 

 

 

 

K「うん、よく最近アルトーのことを考える。

 

『演劇とペスト』また読み返そう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    文化的な岐路 

 

 

K「ところで、これもこないだの話しの中で少し触れたけど、これからオンライン化するのは、事物ではなくて、人間の意識の活動 をオンライン化させてゆく社会に向かうのではと思っていて。

で、さっきのソサエティー5.0で言うと、あれは2015,6年に自民党が2020年度までに目指すべき指針として掲げた政策で、ちょうど今年が2020年。

当時の日本経済新聞にソサエティー5.0についての記事があって、こないだ読んだのだけれど、それが実現されるためには中小企業から大企業、地方自治体から政府まで、全ての業務がデータベース化されて、そこで初めて動き出す社会なので、まずはその社会の前提として、いかにしてオンライン化を進めるか、そのためのインフラ整備が急務、という記事内容だった。」

 

 

 

 

S「ソサエティー5.0の内閣府だったかが出してる広報映像、2016年位に見たけど、その時はある意味衝撃だったな。今見たら、たぶんあまり驚かない。」

 

 

 

 

K「それで、いま多くの人が感じはじめていることだろうけれど、たとえば今回の 公衆衛生に対する感度 や、身体的コミュニケーション、触れ合ったり近づいたり、という 対人関係に対する意識 は、この緊急事態宣言が解かれておしまいではなく、おそらくさまざまな 暫定措置 が残る。

そのなかで、人々の無意識に刻まれ、社会的に常態化していく ことになるのでは思う。

それは不謹慎な言い方かもしれないけれど、ソサエティ5.0の実現に向けて経済が動くためにはむしろ都合が良い世の中になっている。」

 

 

 

 

S「本当にそう思う。このために今回の状況があるのでは、という コンスピラシーセオリー が出てくるのもよくわかる。」

 

 

 

 

K「それで、これは自分の中で強く思っていることだけど、特に日本の状況について、新型コロナウイルスの危機が叫ばれはじめた時、政治も、世の中も、まず初めに切り捨てたのが劇場やライヴハウスや、そういう 文化の場 だったということ、人と人とが集う生きた文化的な場 が、政治的な力、社会の風潮によっていとも簡単に閉じられた、ということの意味はとてつもなく大きいと思う。」

 

 

 

 

S「そうだね。例えば、伝統の破壊 ということは、技術的な進歩に伴って以前からあった。

でも今回のことは、人間の生命を人質にとって文化を破壊 している。

それも、伝統的なものだけでなく、人間の内面活動に関わる文化的な行為全般にわたっている気がする。」

 

 

 

 

K「 舞台芸術についていえば、携わっている人間、現場の人間は皆必死で、皆自分たちの舞台芸術に 命を懸けている人たち だということは痛いほどわかる。

けれど、自分のその 生命の場 を、政治的要請 であったり 同調圧力 であったり、あるいは、誰かの命を脅かすかもしれない、という 情報 によって、そういう芸術的直観ではない、魂の衝動ではない ある種の強制力によって場を閉じざるをえなかった、身体芸術という活動が一度、社会的に絶たれた、ということ、それはこれから時代が一気に超スマート社会へ加速していくなかで、そのことの意味は計り知れないと思う。

生身の身体と意識が結びつく身体芸術 にとって、いま何が失われていこうとしているのか、これから その本当の意味を担っていかなければいけない 。」

 

 

 

 

S「今のこの時点で、ある文化的な連続性が断たれた 、という言い方も、もしかしたら出来るのかもしれない。

そのことに対して どういった言葉を与えていくか は、これからの芸術に携わる人間の課題 だと思う。」

 

 

 

 

K「まさにそう思う。

今あらゆる分野、職種が その文化の断絶の重みよりも 、どこかお花畑に誘われてゆくように、危機に乗じた未来主義的な道 を歩き出している。

いま、文化的な岐路 に立たされている気分。」

 

 

 

 

S「お花畑を歩く、ね。その感覚はわかる。

割りとそれに近い感覚の言葉で、羊のごとく歩みを揃え、とは確か、三島由紀夫 さんの『英霊の聲』の中の言葉だったか。」

 

 

 

 

K「あれから、50 だね。」

 

 

 

 

S「長いのか短いのか、恐ろしいくらいの50年。

たまに、大自然の中にいながらも現在の危機的な状況をイメージしている時に、なぜかふと人類の歴史を振り返って、思えばずいぶんと遠くまで来てしまったなあ、という一種の強烈な旅情に駆られる瞬間がある。」

 

 

 

 

K「いつしかオンラインのなかで眠らされて、知らず知らず 寝ても起きてもマトリックスの中 ということがにわかに現実味を持ってきたような気がしている。」

 

 

 

 

S「まさに、映画の世界が今ここに。

ちなみに、意識のオンライン化 のことで言えば、」

 

 

 

 

K「はい。ポジティブな?」

 

 

 

 

S「いや、ネガティヴな方なんだけど、

人間の 内面活動に物理的、電磁気的に関わろうとする研究 は、実はかなり進んでいる。

今はもう、ある程度の距離での思考盗聴がすでに可能になってきて、それ以外にも、例えば東大では 意識のアップロード・ダウンロード という研究も進んでいるらしい。

機械に意識をダウンロード するとか。

でも、そのこと自体よりも、その考え方の方向性が問題で。

その研究で扱えるのは、いわば思考内容で、人間の思考する行為自体は扱えない 。」

 

 

 

 

K「そうだね、それは人間の内面をすでにデータとして捉えた考え方で。

そう考えている人間の意識が 、すでにやはり 機械化していっている 。」

 

 

 

 

S「そう。そこがそもそもの問題。

そして、意識をデータ化しただけでは 身体的な知覚の経験 が折り込まれなくて、哲学的ゾンビ と呼ばれる状態になってしまうらしい。

機械に意識をダウンロードすることが可能になったとしても、パッと見は人間とまったく同じような振る舞いをするんだけど、内面的な経験や、いわゆる クオリア をまったくもっていない状態になってしまう。

それが、哲学的ゾンビ。」

 

 

 

 

K「なるほど。

・・・話はまだ途中だけど、また3時間近くなってきたので。」

 

 

 

 

S「そうだね。そろそろ。」

 

 

 

 

2020.4.13 "カラスのオンライン対話" より

*この対話はチャットによって行われたものです。

 

 

 

 

 

 

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